第7回 誘ってくれてもええんやで

こんにちは☀
3年のすやまです。
青学新聞を盛り上げるということで、2年生を中心にこのホームページも楽しくなってますね。先輩も書いてくださいと言われたので、喜んで荒らしていこうかと思います。

私たち4人の3年生は、11月15日に青学新聞を引退しました。

4年生の先輩方や、1·2年生の皆様、素敵な会をありがとうございました😔

引退祝いでは例年、引退の3年生は先輩と後輩から色紙とプレゼントの贈呈を受け、みんなの前で一言喋ります。

私は喋りが下手なのに、その場のフィーリングでいいやって言って何も準備しないまま臨んだので、案の定よく分からないことを喋りました。文章のほうが思ったことをちゃんと言葉にできるタイプなので、この場を借りて先輩らしい(?)ことでも書いてみようと思います。


はじめるよ?

実は私友達がいないです。

あ、重い話ではなく、過去の友達を友達と称していいのかという話です。
中学とか高校とか、あの頃は仲が良かったけれど、今は相手にとって私は過去の存在なわけで、お互い新しい環境で少しずつ変わってますよね。そんな中でもし今会っても、あの時のような有意義で楽しい時間を作れる自信がなくて、私から連絡とって遊ぼうとか、新しい環境で頑張ってるのに時間を作ってもらうのはおこがましいとか思うわけです。

あ、よく考えたら自分から勝手に離れていってるだけでした。お友達いるのかもしれない。

そういうこともあって、私はある時ある人から、あなたは命綱(いのちづな)の数が圧倒的に少ないと言われました。

命綱とは、程度はどうであれ自分に辛いこととか大変なことがあったときに、頼ろうと思える人、辛いことを話そうと思える人がいることだそうです。

2年生女子はそういう意味で命綱をたくさん持ってるなあと思います。そしてその命綱はきっと切れないタイプです。ずっ友だ。
話を聞いてれば、彼女たちはいっぱい色んなことを話してて面白いです。

今となっては、部誌(武士)での個人的な出来事の共有や部会での会話は、そうした命綱がたくさん繋がり合った時間だったのかなと思います。話す内容は何であれ、少しでも自分の状況を分かってくれている人がいることは、自然とその人の支えとなっているのだなと思います。
私にとっても例外なく、青学新聞のみんなにそうした形で支えられていたでしょう。

ゼミの仲間の言葉を借りれば、「本当に良い友達(先輩後輩も)関係というのは、一緒にいることでエネルギーを与え、与えられる関係」だということを、大学での学びや青学新聞を通して知ることができました。











いい話だー。



しかしここで今生じる問題は、引退した後私はどうなるんだということです( ˘ω˘)

いつもサヨナラすると友達との交流が途絶え、(あれ友達いない)状態になっていたわけですが、青学新聞で私が出会ったみんなは、今まで通り離れてしまうのには余りに惜しい存在だなと思います。

2年女子が命綱を繋いで、太く綺麗な状態を持続させるのが上手なタイプならば、引退した3年は恐らく、アッ🙄とか言ってる合間にせっかく3年間紡ぎ上げた命綱を綻びさせるタイプです。
(↑私の同期 1年夏合宿時)

私も命綱が途切れないよう努力するので、たまにご飯行こうね3年生。
取り敢えず今度行こう行こう詐欺していたスイーツ食べる会の日程調整に答えるんだ。
(私達が皆さんにとって、今後も会って話したいと思わせる後輩や先輩であったかは分かりませんが、実は先輩·後輩からのお誘いも、3年ずは心待ちにしてるやもしれません。)


長くなりましたが、青学新聞で得た、人との縁や繋がりをこれからも大切にしていくのが私の目標です。


もしよかったら、みなさんが今後十年二十年細く長く続くような私の命綱になってくれたら嬉しいなと思います。年賀状とかね。

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